愛おしい
8月9日日曜日
退院後4日目
体調的にとても落ち着いていい状態で退院。その後の生活も安定している。
入院中、夕方になるとよく頓服のセルシンを飲んでいたので、定時の薬として追加してもらった。
そのお陰もあるかもしれない。
ただ、飲む習慣があまりついていないので忘れてしまうこともあり、昨日は6時ごろ飲んだ。定時薬も頓服も、1時間は空けて飲まなければならないのであまり遅くなってしまわないように気をつけよう。
退院して子供と会って。とても愛おしい。
こちらを見て笑ってくれるその様子が愛おしくて。一日一日、どんどん成長していく様子を今は間近で見ていられるわけではないけれど、一緒に過ごす一瞬一瞬が宝物の時間になるように。
健やかに育ってね。心からの愛を送ります。
保育園に通うようになったためか、表情がとても豊かだ。義理の家族に遊んでもらってケラケラ笑っている様子も隣の部屋で聞きながらほっこりしていた。
どう思ってくれているのか、私が帰る間際はぐずっていた。眠いのもあったためだろうが、またバイバイするのが寂しいなって、私も思ったよ。
いつの日か主人と子供と3人で暮らす日が来ることを願いながら、今日も大切な一日にしてこう。
退院の日ー子供との時間
8月5日水曜日 晴れ
退院日
入院生活も今日で終わり。今回は思っていたより長くなった。
でもだいぶ休息が取れたように思う。
退院後の1日のスケジュールをある程度決められているお陰か、今まで経験した退院の時で一番落ち着いている。
素直に退院が嬉しいと思える。
今日は主人と自宅に帰り、子供とは会わずに少し今後のことを話す予定。
子供は義理の実家で義理の両親と義理の家族にみてもらっている。
主人も生活の拠点を実家にして献身的に子育てをしてくれている。
出産してもうすぐで半年。子供はハーフバースデーを迎える。
出産前の入院から考えても、長い期間入院生活を続けたため、子供との時間はまだ少ない。
自分の病状と並行して子供と一緒の時間を増やしていく努力をしていきたい。
自分では子供のことを可愛いと思っていたつもりだったが、自分のことを優先してやりたい欲が強く、自分の母親や主人に面倒を任せることがとても多かった。
主人は“お腹の中で育てて、産んでくれたのは紛れもなく君なんだから“と、母であることの尊さを教えてくれる。
病状が回復するにつれて子供が可愛くて仕方ないという感情が出てきている気もする。
“これからは子供中心になってくるから“と主人に言われたが、確かにそうだ。
今できていることのどれくらいができなくなるだろう。
少し時間をかけた朝の身支度、自分の趣味の時間、ウィンドーショッピング。
まあそんなネガティブなことを挙げても仕方ない。
新しい薬を飲み始めてから食欲が旺盛だ。
どうやら薬の副作用もあるようだが、1日か2日くらいで2キロは簡単に太った。
これがどんどん増えてしまうようだと先生と薬の量を相談した方がいいかもしれない。
でも、その前までは食欲があまりなく、病院の薬もおかゆにしてもらっているのでよかったと言えばよかった。間食がもう少し我慢できればなあ。
今日も何だか蒸し暑くなりそうだ。
毎朝テレビ体操をするように心がけているが、体操をしている人たちの背景に朝顔が描かれていて爽やかだ。夏だなあ。
飲んでいる薬と産後の授乳の苦労
8月3日月曜日 晴れ
入院生活35日目
今日も朝の入力。スピードラーニングを聞きながら。
朝はやはり目が冴えて気持ちがいい。
こうしてパソコンでの作業は目が冴えるので夜寝る前はやらない方がいいだろう。
看護師さんに、食前食後、寝る前などは30分〜1時間くらい、目が冴えるようなことは避けた方がいいとアドバイスを受けた。
病院の近くには電車が通ってるので勢いよく走る音が響く。
そして今はセミの声も。夏だなあ。
昨日、夕方に頓服のセルシンを飲んだ。夕方はやはり調子が良くない感じがするため、一昨日くらいから前倒しで飲むようにしている。
ちなみに私が今飲んでいる薬は、
■朝夕食後
■寝る前
ブロチゾラムは眠剤、ジプレキサが入院中に飲み始めた薬で、効き目が一日中?くらい効くそうだ。
薬は副作用で怠くなることがあるため、クエチアピンを少し減らしてもらった。
確かに飲んだ後のだるさは少し楽になったような気がする。
薬との付き合いは長い。10年以上。
薬を飲むのが当たり前なので4〜5錠は1回で一口の水とごくんできる。
入院前は漢方を飲んでいたが、入院してからなくなったので効き目が弱いものだったのだろうと思う。
妊活のためにいろいろ減らしたり置き換えたりしていたので、今は妊活前に戻ったくらいを飲んでいると言えるかもしれない。
産後、初めて通院した時に、完全にミルクの授乳だと伝えた時に先生から「飲み放題ですね」と言われたことを思い出す。薬を。
あんまり飲み過ぎたくはないが、産後の入院中に母乳を諦め、ミルクにしたのはやはりよかったと言える。
できるなら母乳で育ててあげたいとも思ったが、それも自分には負担になりそうだったので。
母乳をあげるのには少し苦労した。
栄養があると言われる初乳はあげられたのでそれはとても良かった。
その後少しの間母乳に挑戦していたが、私のやり方がうまくなかったせいか、あまりうまく飲めないようで苦労した。その後のミルクはよく飲む印象だった。
が、完全ミルクにしてからはミルクを全部飲ませるのに苦労した。
途中で寝てしまって、飲んでくれなくて。
看護師さんには、栄養がミルクからしか摂れないから全部あげるようがんばれと指導された。
だから看護師さんのミルクのあげ方を真似て随分粘ってミルクをあげたものだ。
哺乳瓶をぐいぐいと押し込んで、上下に船を漕ぐような感じで。
授乳はオムツ替えから始まるので、まずオムツを替えてミルクなのだが、私は出産前に妊娠高血圧症候群になってしまったため、点滴を連れて授乳室に行っていたことで、毎回邪魔で苦労した。
おまけにその点滴は常に充電していないといけないため、コンセントが近くにある椅子を探して、そこに差し込んでからやっと始められる。
だから授乳室が混んでいる時は大変だった。
点滴を連れながら子供の乗ったカートを引いて空いているコンセントの近い椅子を探して、、。
点滴がつながっているのでその接続部があまり下に落ちたり、ピーんと張ってしまわないように。点滴が入っている腕にも気をつけながら。
今思うと、帝王切開で輸血をした程だったので、産後も貧血が続いていたかもしれない。もしくはしばらくの間、痛み止めをどんな時に使ったらいいかが分からなかったため、授乳の時間は異様に疲れた。
だから子供がミルクを飲み干すまでは1時間以上かかることもザラ。授乳室にいる他の人が自分よりも楽に授乳してるように見えて、どうやっているんだろうと観察も少ししていた。
最初にオムツを替えても、その最中にウンチをすることもあったりしてトータルを終えた頃にはぐったり。
それが3時間置きであるから1時間がんばってもあっという間に次の授乳だ。
でも看護師さんが体調のことも考慮してくださったのもあり、自分でなく、看護師さんが授乳してくれることが多かった。
というかお願いしていた。
それにしても、産後、帝王切開の痛みに耐え続けている中で、初めて授乳室に入って、ジブリのオルゴール音楽が流れた幸せいっぱいのあの空間と、子供を自分で抱き上げて授乳してあげられる幸せはなんとも表現のしようがない程素敵な時間だった。
眠っている我が子を「おはよう、ミルクだよ」と声をかけて、「おしっこしてるね」「ミルクだよ〜」などと二人だけのコミュニケーションをとる時は本当に幸せそのものだった。
天使とはよく言ったものだ。
まさに私のかわいい天使ちゃんだ。
今は大きくなって、首も座り、体もしっかりしてきているが、生まれたばかりの時は本当に全てが小さくて軽くて。
壊れてしまわないようにそうっと触って。
ちょっと長く書き過ぎたか。
だいぶ集中した。
今日は終わりにしよう。
私の発作の時の状態
8月2日日曜日
入院35日目 晴れ
現在朝の7:00前。毎日7:30の食事前のこの時間は暇なため、こうして日記を入力するか、編み物などをして過ごしている。スピードラーニングを聞きながら。今日はオズの魔法使いを聞いている。
退院まであと2日。落ち着いた一日一日を過ごせている。前回の退院前や、一番初めの入院の時には結構不安定になったな。今も不安がないわけではなく、薬のお陰か、わりと安定している。
セミが元気よく鳴いている。梅雨明けもしたし、いよいよ夏本番だ。今年はコロナの関係で花火大会やお祭りなどを開催するのは難しいだろうが、何か楽しみを作りながら元気な夏を過ごしたいものだ。
不安定になった時の症状。
周りの人の会話に敏感になる。
内容によっては心配事が増える。
何か自分が悪いことをしているかのようなソワソワ感をじわじわと感じる。
その時起っていることが自分に関係のあることだと思い込んでしまう。
そのため、自分の身の振り方や、その時の過ごし方をどうしたらいいか分からなくなってくる。
その状態が心全体を覆う時、究極に怖い感じで発作のような事態になってくる。
その吐き出し方が分からなくて、包丁で心臓を刺して欲しいと言い始めたり、無理やり暴れるような感じで父などに抑えられる。
その時のことは、断片的に覚えている時と全体的に覚えている時とがあり、自分の意識がある中で(覚えているが衝動が抑えられないような状態)起きている。
コロナのことがあり、救急隊の方達は全身に水色の防護服を着ていて、靴のようなものも水色のもので覆われていて、確かフェイスシールドもつけていた。
そんな人達が3〜4人いて、包丁を持ち出そうとしたために、警察官も2人くらい来た。
ものすごく緊迫した状況。
その状況下で自分の妄想が続いており、全てが私の中で繰り広げられる物語のような感じで進む。
自殺をしたいとは思っていないが、自分なんか死んでしまった方がいいという妄想に覆われ、母に「ここを刺して」と、心臓を指さして伝えた。
演技ではない。
衝動が抑えられず、それを止めることができないためにそういった行動に出る。
これは演技にも見えることがあるだろう。
頭の中のことがみんなに見えたらいいのに。
周りから見ても何を考えて何をしようとしているか分からないだろう。
発作という状態になるまでに決まって言えることは、体がとても疲れている、薬をきちんと飲んでいない、食事をちゃんと摂れていない、眠れていないなどの原因がある。
何をするにも自分の中での物語(妄想とも言えるが、この言い方の方が伝わりやすいような気がする)から発されるため、それが収まらないとそれらの行動にうつせない。
とても困ったものだ。
誰かこういう経験をしている人が他にもいないだろうか。
入院生活
2020年7月20日月曜日 晴れ
入院生活22日目
18、19日と外泊をした。病院から義理の実家に行き、子供と会ってお昼をご馳走になる。うなぎ!なんて贅沢な⭐︎その後子供が起きるまで主人と話しながらまったり過ごす。
子供がミルクの時間になるあたりでお風呂に入れる。久しぶりの子供とのお風呂で、少し手間取るが、一緒に湯船につかてれよかった。
ミルクを飲ませて少し落ち着いたあたりで自宅へ。
久しぶりの千葉、そして自宅。洗濯をしたり、なんやかんや動く。
夕飯は出前館でチーズナンとてんやを頼んで食べる。チーズナンは主人のオススメ。美味しかった。
その後、Frozen2をプライムで観る。観ている中で神経が興奮してきて落ち着かなかったのでクエチアピンを飲む。
次の日は7:00頃起きる。サラダにローストビーフをのせて、ナンの残りと食べる。
10;30から主人がオンラインの打ち合わせがあったのでソファで過ごしながら少しウトウト。起きて主人が冷やし中華を作ってくれて。ごまだれの冷やし中華。夜に買ってあった春巻きと頂いた。美味しかった。
13;00過ぎ頃から買い物のため外出。300円均一ショップ、GU、セリア、ヨドバシでSDカードを買って、ダイソーでリストバンドを買って、トレファクをふらふら見て、帰る。
荷作りをして、病院へ。主人も一緒に来てくれて見送ってくれた。
新しいシブレキサという薬が合っているようで、だいぶ落ち着いた日々を送れている。
寝る前に飲んでいるが、長く効くそうで。
気持ちが穏やかで、すごく気分がいい。この状態がずーーーーっと続くといいのに。
病気と長く付き合っていると、調子がいい時は長く続かないと思ってしまって困ったものだ。なんだかんだで周期的に発作を起こしているから。あんな思いはできるならばもうしたくない。
頭の中のハエ
ここ何日か困っていること
神経が高ぶると思考回路が高速道路のようなスピード感で進む
これは病気で妄想しやすいために
自分の意思とは関係なく起きる考えなのか
ただ単に自分の価値観からくる考えなのか
そのあたりがわからないまま過ごすと苦しくなる
病院の先生に
妄想は自分の意思とは関係なく進むと言われて
それが自分なりに理解できると楽になるが
渦中にあってわからない状態だと
自分の価値観が間違っているような気がして
ただただ自分を責めてしまうような
今気づいたが最近薬を少し減らして飲むことにしていたのだった
妄想と鬱に効く2種類の薬のうち
鬱の方を減らそうとしていた
そのせいでこんな風に考え込んでしまうのか
うーん
そうやって全て病気関係で片付けようとするのもなんだか悔しい
もっと普通な感覚でとらえたい
精神系の病気の人はすぐにそこにもっていきたがる傾向がある気がしてならないので
でもその方が楽だったりするもの
自分を責めることからできれば逃げたいから
あぁ
早く薬を飲む生活から抜け出したい